COO×CFOの 唯一無二のアドバイザー。 成功と失敗の両方を伝え ベンチャー企業の成長に貢献 | LISTEN (リスン)

ベンチャー企業での経験をシェアすることが自らの使命

「失敗を数多く知るアドバイザー」。

自らをそう称するのは、かつてCOOとして13億円の資金調達を実現させ、現在はベンチャー企業へのコンサルティングを行う秋田将志だ。自身がベンチャー企業で勤めた経験をもとに、「ベンチャー特化のアドバイザー」としてクライアントの成長に貢献している。

秋田のコンサルティング業務の形態は多岐にわたる。顧問業としてのアドバイスがメインのときもあれば、業務支援という形で経営陣のバックアップに努めるときもある。「フルコミットでなくても、支援してくれるだけでもうれしい」という声がベンチャー企業の中にはあり、業務支援というニーズにも柔軟に対応している。

秋田がCOOを務めていた株式会社みんれび(現:株式会社よりそう)は、2009年に創業し、葬儀社のポータルサイトやお坊さん手配サービスなど葬儀関連事業を展開している。

秋田はみんれびに創業メンバーとして参画。アルバイトで入社すると、10ヵ月後に営業部長に昇進し、その2年後には取締役に就任。2015年には取締役副社長兼COOと、在籍した9年間でアルバイトから副社長まであらゆる立場、業務の経験を持つ。

COOとしてのキャリアに加え、税理士や弁護士などとの協働経験によって蓄積されたCFOとしての知見。この両方を兼ね備えるのが秋田の最大の強みだ。財務諸表の作成から始め、それから事業計画の作成へと移っていくのが秋田のスタイル。財務の部分からサポートしていくことによって、ベンチャー企業が成長するための基盤を作っているのだ。

「今の時代に求められているのは、変化のスピード。時代の移り変わりに合わせて、会社がどう変化していくかが重要です。うまくいっていない会社は、過去の栄光にとらわれているか、もしくは情報整理ができていないか。『何をやるんだっけ』とやるべきことが明確でない場合も少なくないので、財務諸表から一緒に作っていくことで、きちんと収益が出せるような状態にしていきます」

みんれびを退職し、現在は合同会社divを経営。ベンチャー企業へのコンサルティングを秋田自身が一人で行い、「自分の経験をシェアする」ことに価値を置いている。

「みんれびでは、エンディング業界というニッチな分野に携わりました。ポータルサイトへの掲載企業数が5年で500社を突破、2017年にはお坊さん手配サービスの提携僧侶数が1000人突破と、会社の成長に貢献することができました。そのノウハウが他の分野で役に立つのか試してみたくなったのです。また、アルバイトから入社し、役員、副社長とすべてのステップを経験。13億円の資金調達や各部門の設立など多くを経験させてもらい、それを世の中に還元したいと思ったので、僕一人でのコンサルティングという形を取っています。成功も失敗も全て伝え、ベンチャー企業の成長に少しでも貢献できる仕組みを提供していきたいです」

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ベンチャー企業で働けることが何よりのやりがいだった

岐阜県中津川市で生まれ育った秋田。経営者である父を持つ秋田は、働くことに強い関心を持ち、中学生の頃からアルバイトをしていた。アルバイトを通じて多くの大人たちと接するうちに、自分の将来の予測がついてしまい、何か変えなければと感じた秋田が選択したのは、高校卒業後にアメリカへ留学するという道だった。

「高校卒業後の進路を考えていたときに、普通に勉強を頑張って普通に大学に行くだけでは、普通の人生で終わってしまうと思いました。何か普通じゃないことをしなければという気持ちから、頭に浮かんだのが海外留学。今までまともにやってこなかった英語を頑張って、海外の大学にチャレンジすれば、自分の中で何かが変わるかもしれない。そう思い、意識をガラッと変えて死にもの狂いで勉強しました。また、当時フラれた彼女が英語が得意で、その彼女を見返したいという想いもあり、苦手だった英語の勉強を頑張れました(笑)」

そうして選択した海外留学が、秋田の価値観を大きく変えることになる。もともとネガティブ思考だった秋田が、大きなチャレンジをしたことで自分の選択肢が広がることに気付いた出来事だった。また、留学したアメリカでは寝食はもちろん、トラブル対応など、すべてを一人でやらなければならなかった。日本では考えられない経験ができたのが、秋田の財産になった。

実は、秋田が経営者の道に進むと決めたのは、留学を決めたときのことである。留学を父に相談すると、反対されることなく後押ししてくれたのだった。そこに見たのが経営者としての父の背中であり、そのとき秋田自身の目標が決まった。

「当時、父は家にはあまり帰らず、父親らしいことをしてくれたことも少なかった。でも、留学を相談すると、『お金のことは心配しなくていいけど、覚悟は持てよ』と。留学はお金がかかるはずなのに、すぐにイエスと言えるのは父が経営者だからなんだなと初めて気付きました。そういう姿がカッコいいと感じたので、経営者になることが夢になり、いつしか『父を超える』ことが目標になりました」

経営者を目指すと決めた秋田は、新卒で入社した会社を3ヵ月で辞め、高校の同級生が社長をしていたみんれびに入社。最初はアルバイトからのスタートだったが、「ベンチャーで働けること自体がやりたかったこと」と、意気込んでいたそうだ。

みんれびでは、葬儀社のポータルサイトの運営に携わった。アルバイトとして入社した秋田は、多岐にわたる活躍を見せる。Webサイトの制作、営業、コールセンターの構築運用、採用担当など。会社のバックオフィス部門が整っていないと気付けば、財務経理体制の整備も行った。副社長になってからは広報活動、そして13億円の資金調達。9年間でこれだけ多くの経験を積み重ねてこられたのは、経営者になるという執念があったからだ。

「高校の同級生であるみんれびの社長は、20歳のときに起業して、僕とは大きな差があることに気付かされました。だから、社長以上のことをすれば追いつけるだろうと。例えば、社長が1記事読めば僕は10記事読んだり、社長が話すことを録音して話し方を全てコピーしたり。そのうち、社長がやっていたことを僕に任せてくれるようになり、気付いたら経営者になっていました」

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成功も失敗も伝えながらサポートしていきたい

みんれびでは副社長にまで上り詰めたが、退職に至ったのは体調を崩したことが原因にある。13億円の資金調達や100人の従業員を抱えるプレッシャーが秋田に重くのしかかり、マインドコントロールがうまくできなくなっていた。自律神経が乱れ、携帯電話の通知に拒絶反応を示すなど、限界を迎えていた。社長より休養を命じられ、それまでの人生を徹底的に振り返ることで、秋田の目指す方向が見えてきたという。

「休養中に、何度も自分の人生を振り返りました。あの時どうすればよかったのか、次はどうすればうまくいくのかなど。その結果、自分が作りたい世界観が見えてきたのです。でも、会社に所属している限り作っていくのは社長の目指す世界観。なので、自分自身の箱を持ちたいという理由で、一人で再出発することにしました」

独立し、設立したのが合同会社div。社名に掲げる「div」には、「individual」と「division」の2つの意味がある。会社を成長させるために、個人の力を最大化させることと、その個の力をフェーズに合わせて可変させ、機能させること。その両面を重要視している。

秋田が注力していきたいことは、新たな働き方の促進だ。時代の変化に早く対応できる企業を増やすために、フレキシブルに働ける環境を整えていきたいと考えている。例えば、正社員がフルタイムで働いていたのを、週3日の勤務にすることで、残りの2日を別の仕事に充てる。そうすることで、働く側はパフォーマンスが上がり、結果、週5と同じパフォーマスが出せる可能性もあると考える。

そうした働き方を促進した先に、秋田が実現したいのは「個人がリソースを提供しあって事業を作っていく」こと。一緒に事業を作るメンバーを雇用という形ではなく、それぞれ独立したメンバーが集まることで、それぞれの持ち味を発揮しながら事業開発を進めていくことを理想とする。個人を大切にし、個人の力を集結させていいものを作っていく環境を提唱するために、秋田は成功も失敗もすべて伝えていきたいという。

「みんれびでの経験をもとに、ベンチャー企業の成長をサポートすることはもちろん、体調を崩して働けなくなることに対するリスク管理方法も伝えていく必要があると思っています。自分の生活習慣が変わってきたら、気を付けたほうがいい、など。個人と企業がWin-Winな関係で共存し、成長していけるよう、僕が経験してきた成功も失敗も全て伝えていきたいです」

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リスナーの目線

父親を超えることを目標にしてきた秋田さんですが、お父様からは「俺を超えていったね」と言われたとうれしそうに話していたのが印象的でした。一人の経営者として認めてもらい、今ではお父様の事業の手伝いをされることもあるそうです。「個人がリソースを提供しあって事業を作っていく」ことをすでにお父様との間で実現されており、そのような働き方が広まっていくのだなと感じました。

インタビュー・編集/垣畑光哉、角田尭史

撮影/森モーリー鷹博

Profile

1985年、愛知生まれ。岐阜県中津川市出身。高校卒業後、アメリカに留学し、University of Central Oklahomaを卒業。新卒でWebを中心とした保険の総合代理店に入社後、2009年に創業メンバーとして株式会社みんれび(現:株式会社よりそう)に参画。葬儀業界に特化したメディア営業を通して1400社以上のネットワーキング、24時間365日稼働のカスタマーセンターを構築。また、葬儀・供養業界におけるPBブランド等の事業を構築。役員、副社長を歴任。みんれびを退職後、合同会社divを設立。「失敗を数多く知るアドバイザー」と称し、個人でベンチャー企業の経営コンサルティングをおこなう。